確率
神はサイコロを振るのか?
不確実な未来を「数」で捉え、混沌の中に秩序を見出す技術。
ギャンブルから生まれ、現代物理学とAIを支配する確率論の深淵に迫る。
第1章:偶然を数値化する
確率(Probability)とは、ある事象が起こる「確からしさ」を0から1の間の数値で表したものである。 明日雨が降るかどうか、サイコロの目が何になるかは誰にもわからない。しかし、無数に試行を繰り返せば、そこには厳格な法則性(大数の法則)が浮かび上がる。 確率は、個別の未来を予言する魔法ではないが、集団としての未来を正確に記述する科学である。
確率の定義はシンプルだ。「起こりうるすべての結果(全事象 $U$)」のうち、「注目している結果(事象 $A$)」がどれだけの割合を占めているかである。 ただし、これはすべての結果が「同様に確からしい(等確率である)」場合にのみ成立する。歪んだサイコロでは、この単純な計算は通用しない。
可能性の空間:サンプルスペース
全事象(6通り)の中で、偶数が出る事象(2, 4, 6の青い点)は3通り。
確率は、この「領域の広さの比率」として視覚化できる。
0と1の間にある世界
確率は常に $0 \le P \le 1$ の範囲に収まる。 $P=0$ は「絶対に起こらない(空事象)」、$P=1$ は「必ず起こる(全事象)」を意味する。 天気予報で「降水確率100%」と言えば必ず雨が降るが、「0%」でも稀に降ることがあるのは、気象学における0%が「極めて低い」という意味で使われることがあるからだ(数学的には0なら絶対に降らない)。 私たちの人生のほとんどは、この0と1の間のグレーゾーンにある。
確率論は、17世紀のフランスで賭博師シュヴァリエ・ド・メレが、数学者パスカルに「賭けを中断したときの賭け金の分配方法」について相談したことから始まった。 パスカルとフェルマーが交わした往復書簡によって、「まだ起きていない未来の可能性」を数学的に分配する理論(期待値の概念)が確立された。数学は不純な動機から発展することもあるのだ。
実践:確率計算の3つの鉄則
確率の計算で迷子にならないための、基本的かつ強力な3つのツールを紹介する。これらを使い分ければ、複雑な問題もシンプルに解ける。
1 数え上げの原則:樹形図
公式に頼る前に、まずは「もれなく、ダブりなく」数え上げるのが基本。そのための最強ツールが樹形図だ。
コインを2回投げる場合:
(表-表), (表-裏), (裏-表), (裏-裏) の4通り。
すべて等確率なら、(表-表)になる確率は $\frac{1}{4}$ である。
2 余事象:「じゃない方」を考える
「少なくとも1回は表が出る確率」のように、「少なくとも」という言葉が出たら余事象の出番だ。 正面から計算するより、全体(1)から「一度も表が出ない(すべて裏)」確率を引くほうが圧倒的に速い。
3 積の法則:独立な事象は掛ける
サイコロを振るのと、コインを投げるのは互いに影響しない(独立試行)。 この場合、「サイコロで1が出て、かつ、コインが表になる確率」は、それぞれの確率の掛け算で求められる。
例:$\frac{1}{6} \times \frac{1}{2} = \frac{1}{12}$
「出現率1%のガチャを100回引けば、必ず当たる」というのは直感的な誤解である。 余事象を使って計算すると、「100回連続で外れる確率」は $(0.99)^{100} \approx 0.366$。 つまり、100回引いても当たる確率は $1 - 0.366 = 63.4\%$ 程度しかない。 確実に当てたければ、確率は直感よりも厳しいことを知っておく必要がある。
第2章:ラプラスの悪魔と統計力学
確率は当初ギャンブルの道具だったが、次第に科学の根幹を揺るがす概念へと進化した。 19世紀の数学者ピエール=シモン・ラプラスは、確率論を「常識を計算に直したもの」と定義し、解析的な基礎を築いた。
決定論と確率論
ラプラスは、宇宙のすべての原子の位置と運動量を完全に把握できる知性(ラプラスの悪魔)が存在すれば、未来は完全に予測可能であると考えた(決定論)。 彼にとって確率とは、人間が「知らない」ことから生じる主観的な曖昧さに過ぎなかった。 しかし、その後の統計力学の発展により、気体分子のような膨大な数の粒子を扱うには、個々の動きを追うのではなく、確率的に平均値や分布を扱う方が本質的であることが明らかになった。
ベイズ統計の逆襲
一方、トーマス・ベイズ牧師が提唱した「ベイズ確率」は、新しい情報が得られるたびに確率(確信度)を更新していくという考え方である。 長らく主流派(頻度主義)から異端扱いされていたが、現代のAIやスパムメールフィルター、医療診断など、不完全な情報から意思決定を行う分野で爆発的に普及している。 確率は「頻度」なのか「信念」なのか、その哲学的論争は今も続いている。
第3章:直感を裏切るパラドックス
人間の脳は確率を直感的に理解するのが苦手だ。そのため、確率論には多くの有名なパラドックスが存在する。
モンティ・ホール問題
3つのドアがあり、1つが当たり(車)、2つがハズレ(ヤギ)。あなたが1つ選んだ後、司会者(モンティ)が残りのドアからハズレを1つ開けて見せる。 ここであなたは「ドアを変えるべきか、変えないべきか?」 直感では確率はどちらも1/2に見えるが、数学的な正解は「変えると当たる確率が2倍(2/3)になる」である。 この問題は多くの数学者さえも間違えさせた、条件付き確率の難問である。
ギャンブラーの誤謬
ルーレットで「赤」が10回続いた。「次はそろそろ黒が出るはずだ」と考えるのがギャンブラーの誤謬である。 独立した試行において、過去の結果は未来の確率に一切影響を与えない。 サイコロに記憶はないのだ。確率は常に冷徹に、その瞬間ごとの計算を行う。
「何人集まれば、その中に同じ誕生日のペアがいる確率が50%を超えるか?」 直感的には半分(180人)くらい必要に思えるが、正解はわずか「23人」。 自分と同じ誕生日を探すのではなく、「任意の誰かと誰か」のペアの数が膨大になるため、確率は急激に上昇するのだ。
第4章:量子論とAIの時代
20世紀以降、確率は「無知の結果」ではなく、「世界の根本原理」であることが判明した。
量子力学と神のサイコロ
量子力学において、電子などの微粒子はどこにあるか確定しておらず、「ここに存在する確率」として雲のように広がっている(波動関数)。 観測した瞬間に初めて位置が確定する。アインシュタインはこれを嫌い「神はサイコロを振らない」と言ったが、現代の実験事実は神がサイコロを振っていることを示唆している。 世界は決定論的ではなく、本質的に確率的(Probabilistic)なのである。
AIと次の単語の確率
ChatGPTやGemini、Claudeなどの大規模言語モデル(LLM)は、次にくる単語を「確率的」に予測しているに過ぎない。 「昔々あるところに」の次に「おじいさんが」が来る確率は高く、「iPhoneが」が来る確率は低い。 膨大なデータからこの確率分布を学習することで、AIは人間のような流暢な文章を生成している。現代の知性は、確率の海の上に成り立っているのだ。
保険会社が潰れないのは、誰が事故に遭うかは予測できなくても、「10万人のうち何人が事故に遭うか」は極めて正確に予測できるからだ(大数の法則)。 個人の不幸という不確実性を、集団の確率という確実性に変換してリスクを分散する。これが金融・保険システムの数学的基盤である。
可能性の海へ
絶対確実なことなど、この宇宙にはほとんど存在しない。
しかし、確率は私たちに「未来の地図」を与えてくれる。
リスクを計算し、最善の選択をするための羅針盤。
不確実な世界を生き抜くための、最強の武器がここにある。